アキラさんと圭子さん

 梅雨入りが発表された、とニュースで報じられたとき、僕は修羅場の真ん中に居た。修羅場というものがどういうものなのか、尋ねられても正確に答える自信はないが、いま僕の目の前に繰り広げられているこれが修羅場ではなくなんのか、と問われれば、まあそれは修羅場だろうと答えざるを得ない。

 

 きっかけは猫の餌やりだった。夫婦が飼い始めて10年になる老い猫のチッチは、毎朝決まって7時にご飯を食べる。食べると言ってもこれは彼の意思ではなく、餌やりを担当するアキラさんが器に餌を入れたら、彼は食べざるを得ないだけのことだ。とにかく、チッチは朝の7時にご飯を食べる。

 ところが、だ。今日のアキラさんは朝から持病の脊柱管狭窄症がひどく、兎にも角にも腰が痛い。痛くて布団から起き上がれず、6時半に目が覚めてから1時間以上、悶えていたのだという。隣に置いてある圭子さんの介護ベッドに捕まりながらなんとか起き上がり、やっとのことで圭子さんのトイレと着替えの手伝いを済ませたのだそうだ。そうして、圭子さんと自分の朝ごはんを準備して、11時に予定されている訪問リハビリテーション(僕はこれを担当する理学療法士だ)に向けて、圭子さんを車椅子に座らせ、髪をとかし、軽い化粧までして、圭子さんの考える“いつ、誰がやってきても恥ずかしくない状態”に仕上げていた。

 

 そして、時間になり僕がやってきた。僕がこの家に入ると、まずアキラさんが出迎え、簡単な挨拶を交わす。そうして「今日はチッチはお昼寝ですか?」と尋ね、チッチの居場所を確認する。彼は決まって、アキラさんのマッサージチェアの上で丸くなっているか、箪笥の上からじっと僕を見下ろしているかしている。眠っているのなら害はないが、箪笥の上のように高い場所にいるときは要注意だ。圭子さんの傍で仕事を始めた僕の肩に飛び乗ってきたことは一度や二度ではない。

「チッチは、今日は…。あ、いけない、これはマズイ…」

 いつものようにチッチの居場所を尋ねられたアキラさんは、少し考えたあとでみるみるうちに顔色を変えた。そうして稲妻のようなスピードで猫の餌が入っている袋を取り出し、僕の足元にあるプラスティック製のピンクの器に餌を入れた。

 動物など飼ったことのない僕は、飼い猫の餌というものはこうして準備するのか、と感心していた。感心したのとほぼ同時に、背中に鋭い衝撃が走り、次の瞬間にはそのピンクの器に顔を沈めて一心不乱に餌を貪るチッチを見た。

「ああ、なんだ、お腹が空いて隠れていたんだ」

 お腹が空いたから隠れる、という連想は我ながら不可解だった。本当に空腹ならニャーとかワンとか鳴き声をあげて、飼い主に食べ物を求めればいいのだ。そんなことを考えながらチッチが幸福に空腹を満たすのを眺めていると、今度はリビングから鋭い衝撃が走った。圭子さんだった。気づいたときには、もうアキラさんの姿はなかった。

 

「いや、確かに忘れていた俺が悪いけど、今日は腰が痛かったんだからしょうがないじゃないか」

 圭子さんは怒っていた。とても怒っていた。

「だからチッチには悪いと思っているよ。でも、別に具合が悪くなったわけじゃない。チッチに怒られるならまだしも、どうして君がそんなに怒るんだよ」

 圭子さんは2年前に脳梗塞を発症した。以来、右の手足と言葉に障害を持った。利き手であった右手の自由を失い、足も左手で何かに掴まりながらやっとのことで短い距離を歩く程度だ。倒れてからの半年間、病院で練習を重ね、アキラさん1人の介助でなんとか生活ができる程度にまでは回復した。そして今でもそれを維持している。

 でも、問題は一つではなかった。圭子さんは失語症になった。不勉強な僕には正確なアセスメントはできないが、圭子さんの症状は所謂ジャーゴンというやつで、自分では正確に話しているつもりが聞いている方には理解できない言葉のつぎはぎになってしまう。本人は「このテレビ、面白いね」と言っているつもりでも、相手には喃語に近い、それにしては鋭い音ではっきりと何か音と音を紡いでいるような、不思議な言葉になってしまうのだ。

「怒らないでくれよ。俺はチッチに謝るのはなんとも思わないけど、君に謝るのはなんだか腑に落ちないし、そんなことをしたら虚しくなってしまうんだ」

 捲し立てる圭子さんも痛々しいが、狼狽えながら応答するアキラさんを見るのも胸が苦しい。圭子さんは感情のコントロールがうまくいかない。ふとしたことで怒りの導火線に火がついて、ちぐはぐな言葉を撒き散らしてしまうのだ。そして、その怒りは大抵の場合、アキラさんに向く。僕は穏やかなときの圭子さんが紡ぐ音から圭子さんが何を伝えたいのか読み取る作業は好きだけど、今のように怒ってアキラさんを責め立てる圭子さんを見るのはなんだか悲しい。僕自身、今までに何度もヘマをして圭子さんを怒らせた。僕の前に担当していた理学療法士はそれに耐えられなくて、自分から担当変更を申し出た。そのくらい、圭子さんの怒りのエネルギーは強い。でも、そのエネルギーの矛先が自分に向けられるのは踏ん切りがつくが、今のようにアキラさんに向けられるのはなんだか悲しい。

 

 一旦、僕と圭子さんを2人にしてもらえないか、とアキラさんに提案した。この家に出入りするようになった初めの頃の僕には想像もできない対応だ。あの頃はただ狼狽えることしかできなかった。アキラさんは、「よろしく頼むよ」と寂しそうに笑った。

 寝室でふたりきりになると、圭子さんは少しだけ落ち着いたように見えた。でも表情は険しく、時々思い出したように一言二言呟いては目を伏せる。

「チッチ、お腹がいっぱいになったから、もう寝ちゃってますね」

 チッチは夫婦喧嘩には目もくれず、マッサージチェアの定位置に収まって寝息をたてていた。その呑気さが微笑ましくも妬ましく、あとでこっそり「お前がご飯がないことをもっとちゃんとアピールしておけばよかったんだぞ」と叱ってやるんだ、と心に誓った。

「そしたら、始めましょうか」

 体温と血圧を測って、僕は僕の仕事を始めることを宣言する。車椅子に座っていた圭子さんがベッドに移るのを手伝い、仰向けになった状態からストレッチを始める。圭子さんの右では肘のところで曲がったままになっていることが多いので、関節が固まってしまわないように、肩のところからしっかりと筋肉をほぐしていく。圭子さんはすっかり落ち着いたようで、いつもの表情に戻っている。こういうとき、距離と時間は偉大だ。

 アキラさんと圭子さんには子どもがいない。夫婦にとって、チッチは息子同然だった。圭子さんが病に倒れてからは、なおさらその愛情は強くなったそうだ。チッチへの愛しさと、当たり前の日常にほんの少しの亀裂が入る違和感が、圭子さんを不安定にさせているように思う。

 

 僕が訪問してからちょうど60分が経ち、圭子さんに再び車椅子へ移乗してもらうと、僕たちは部屋を出た。リビングにはニュース番組の音声が流れ、アキラさんがぼんやりと腰掛けていた。「終わりました」

 僕が声をかけるとハッとして、アキラさんは立ち上がった。立ち上がった時に腰が痛むのか、眉間に皺がよった。腰に手をあて、ほんの一瞬静止した後、アキラさんは「ありがとう」と笑顔を見せた。

「腰、痛みますか?」

「いや、まあね。そろそろ病院に行かないといけないね。圭子のことがあるから、時間もそう自由にならなくて」

 圭子さんは家に1人でいられない。以前、ほんの少しだけアキラさんが買い物に出かけた最中に、自力でベッドから起きあがろうとして転落した。幸いにも怪我はなかったが、それ以来アキラさんは圭子さんに留守番をさせることができなくなった。アキラさんの負担を心配した僕たちはことあるごとに介護ヘルパーやデイサービスを夫婦に勧めてきたものの、圭子さんもアキラさんも首を縦には振らなかった。その様子を見た担当看護師は、ふたりのことを“共依存”だと言った。それを聞いて、僕はまた苦しくなった。

 

 玄関で僕とアキラさんがふたりきりになると、改めて僕は切り出した。

「圭子さん、やっぱりデイサービスは難しいですかね」

 こういう時、アキラさんは休めていますか?とか、少し距離をとった方がいいかもしれませんよ、とか、そういう直接的なことが言えない自分がもどかしい。僕がもう少し歳を取れば、こういう台詞も簡単に口から出るようになるのだろうか。

「あの性格だからね。きっと周りの人にも迷惑かけちゃうし、何より本人が辛い思いをするだろうから」

 圭子さんが感情的になってしまうのは彼女の性格じゃなくて病気のせいですよ、という言葉が喉元まででかかったけど、やめにした。アキラさんにとっての圭子さんは病気になる前も今も変わらない。いつだってそれは、“目の前にいる圭子さん”なのだ。

「僕が訪問してる間なら、少しくらい出かけてもらっても構いませんからね。まあ1時間じゃ病院は難しいのかもしれないけど…」

「ありがとう。君が来てくれるだけで、僕たち夫婦はとても助かっているよ」

 アキラさんはまた寂しそうに渡って、僕はまた苦しくなった。

 

 申し訳ない気持ちとともに扉を閉めて、移動用の自転車のところまでとぼとぼと歩く。この時間になると日差しが眩しくて、日差しまで僕を責めているように思えてくる。この仕事をしていると、僕はすぐにやるせない気持ちになる。そりゃ、圭子さんが倒れた2年前や退院してすぐの頃に比べれば、2人の生活は落ち着いている。落ち着いているけど、病気をする前と今の生活の差はほんの少しの苦労になって、雨粒のように蓄積して、今はもうバケツから溢れそうになっているのだ。僕はそれを目の前で見ていながら、何もできないで困っている。情けない。

 自転車に跨って、大通りに出る。歩道は人が多く危険なので、車道に出て思い切りペダルを漕ぐ。昼ごはんや午後の訪問について考えていると、アキラさんと圭子さんの日常から抜け出せてしまったような気がして、僕はまた少し胸が締め付けられるのを感じた。